会社から帰るときに、今日は母と飯何かな~とか何話そうかな~って考えちゃった瞬間にすっごい辛くなる。今年の1月末までは当たり前にあった日常で、ほんとの末期になるまでの数か月もこんな生活だった。すげぇ精神的に苦しい時間でもあったけど、一緒に合ったものがあっという間に消えてしまったので、現実感が無いのだけど、でも本当なんだよなぁ、俺の部屋の横で苦しそうに息をしていて、もう間もないのは分かってたけど、起きた時に息をしていなかった瞬間とか、顔の表情とか、最期に何か伝えたかったんじゃないかとか、手を握っていてほしかったんじゃないか、とかそんな後悔がずーっと繰り広げられる。昼間は良いけど、ホント夜になるとダメだな。精神のバランスがおかしくなる。楽しかった思い出ばっかりだから余計つらい。あーーもっともっと一緒に生活したかったーーーー!色んなところに連れていってあげたかった。美味しい物食べさせてあげたかった。あんまりにも時間が無かった。分かったときにすぐに抗がん剤治療を始めてたらもう少しは長生きできたのかな、でも抗ガン剤の治療をスタートしていたら、4月ぐらいまでのたったの数か月だったけど、ホテル浦島や、妹と孫との東京旅行を企画して実行してあげることなんてできなかった。でも、、、という後悔もある。なんで母が死なないといけないんだという悔しさとか、悲しさがとまらない。覆水盆に帰らずで、たらればをいくら言ってもなにも変わりはしないんだけど、ずっとこの悲しさを引きずりながら生きていくのかって思うと人生が凄く辛い。もうすぐ終わっちゃう日常だってわかってたのに、もっとずっと喋ってればよかったなとかさ。そら、毎日ほぼ休みなく入院して治る見込みがなく徐々に悪くなっていき落ち込んでる母にお見舞い行くのは精神的に辛かったし、家に帰ってきている間も基本的には落ち込んで元気がない母は寝てるかボーっと俺が買ったiPadで動画を眺めてるだけの日々で、俺もずっと一緒にはいなくて部屋でゲームをやって1日が終わるなんて事も多々あった。賭ける言葉もあまり見つからないし、辛くて悔しくて悲しくて泣いてしまうから真面目な話も、死んだ後の話もしたくなかった。遺産とか生命保険とか、葬儀の話とか。それでもそんな中でも自分達の生活を送って、たわいもない話をして、点滴だって別に毎日変えたって全然平気だった。トイレを支えるために幇助するのも、吐瀉物かたづけるのだってシモの世話だって別に苦しくなかった。でも、あの体温も声も匂いもなんももう残ってない。身体は燃えちゃって骨と遺影だけ残ってて介護器具ももう回収されたから、部屋には遺影しか残ってない。あと40日後には骨もお墓に入ってしまう。この苦しさも辛さも時間が少しづつ解消してくれるんだろうか。本当にそうであってほしいけど、ほんとマジで辛い。抗うつ剤なかったら俺どうなっちゃったんだろう。飲んでても辛さと悲しさでときどき過呼吸みたいになっちゃうのに。

 

ほんと最近、家事や片づけばっかりで隙間時間は遊戯王ぐらいしかやる気が起きないのでアニメもバラエティもひなあいすら観る気が起きない。遊戯王やってるときも、遊戯王やりながら寝落ちしちゃったので、あの時遊戯王なんかやってなければまだ大丈夫かもしれないなんて思わずに同じ部屋で向き合っていれば、、、とか思わずにはいられない。最期に母が見ていたのがベッドのフレームではなくて、息子の顔だったら少しは気持ちが救われたのかなとか、心休まったのかなとか、もう永久に後悔はして引きずり続けそう。ほんと辛いな。悲しいなぁ。会いたいなぁ。