今日は母の友人の方々がお参りにきてくださった。まだ母が10代だったころに同じ会社のラインで一緒に働いていた仲間の方で今でもお付き合いのあった方達。御友人から聞く母の話は新鮮で、わざわざ足を運んでくれて悼んで悲しんでくれて涙を流してくれるだけで本当に嬉しかった。思い出話をしながら涙を堪えてたけど、お帰りになった瞬間、悲しくて寂しくて涙が止まらなくなり、そこから母の事ずっと思い出しては泣いてた。妹は朝思い出して泣くことが多いらしい。俺は夜がダメだなぁ。特に寝る前とかそろそろ寝ようと思う時とかが一番辛い。結局、思い出して涙が止まらなくなり眠くなるまで起きてることにした。ガン発覚の2月頭から今日まで泣いていない日の方が少ないぐらい毎日泣いてる気がする。単純にもういないことが寂しいし、今まで辛かった分幸せにしてあげたかったのに出来なかったのが悔しいし、苦しい。最期を看取れなかった後悔もずっとあるし、母の亡くなった直後の表情とか、葬式での場面とか、遺骨になった場面とか、それと特に家を出てからの毎日の楽しかった記憶や会話が鮮明なのでそれが思い出されてやるせない気持ちになる。苦しめて苦労させた人物たちは何にも感じていないのか金の話や自分の事ばっかり気にしてるのも本当に憎いし、色んな負の感情にずっと晒されてる。本当にあの世があれば良いのに実際はそんなものは無いと分かってるから、本当に俺がもう死んだとしても会える事はないんだよな。って考えると本当に辛い。それなのに49日間ずっと2ヶ月分食べられなかった分、好きだったものを毎日毎日考えて用意して、大好きな花で囲ってあげたら喜ぶかもしれない、でも意味はない。ただの自分の気休めでしかないってことはよくわかってるんだけど、それでももしも49日間やあの世という概念があるならば、という一縷の希望を持ってしまうから、やめれない。49日過ぎたら流石に今よりは控えるけど、月に1度は渥美までお花を持ってお参りしてあげたいし、一週間に1度は小さいお花と、好きだった物を自分の買い物のついでにお供えしてあげたいな。

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お供えしすぎてデンドロビウム化してきた祭壇