母のこと。亡くなってから1年以上経つけど、ふとしたときにすげぇ悲しくなる。母が好きだったから、母が限界になって出て行ったとき、過呼吸になった母のために豊橋の病院まで深夜走った。渥美に住んでる時は荷物を届けるために何度も走った。母が名古屋に住まう時も良い部屋を探してあげようと奔走して、俺の名義で部屋を契約した。隣の部屋の住人がうるさい人だったから睡眠障害の母が眠れるようにAirpodsを買ってあげた。色んなところに旅行に連れて行ったり、美味しいものを奢ったり、足が痛ければ温泉に連れて行ってあげた。大嫌いな連中との3人暮らしで家計を支えるように支払いを全部管理して嫌がらせにも耐えてきた。自分が限界なのもあったけど、親父のお金が無くなり、家賃が払えなくなる可能性が出てきたので一緒に住んだ。毎日楽しかった。嫌な人がいない生活がこんなに楽しいとは思わなかった。庭づくりが趣味で足が悪い母のために必ず庭付の1階の部屋に住んだ。統合失調症のババアに悩まされたらすぐに引っ越しをして、母が気に入った部屋に即契約して住んだ。母が辛かった人生を取り戻せるように手伝いをしたかった。もしも自分が愛知県を出ても母が住まえるように古い民家とかマンションを買ってあげようと思ってた。出来れば孫の近くに住めるようにとか色々考えてた。病が発覚したときには、仕事を辞めてでも絶対に介護すると決めた。母が行きたいと思っていた場所に全部連れて行ってあげるつもりだったし、病院の送り迎えは必ずやった。どうしてもいけない日以外は毎日お見舞いに行った。病院生活を退屈しないように色んなサブスク契約してiPadを買ってあげた。食べられる物を毎日スーパーで探して届けた。入退院の繰り返しの中徐々に弱っていく母を元気づけるように言葉をかけて、心がまぎれるような事や物を全力で探した。自宅介護になっても、最後の最後までどんだけ大変になろうと絶対苦しみが少なくなるように頑張った。全部母が好きだったから。俺ぐらい頑張って献身的に母親を支えようと頑張ったやつはそんなにいないだろって断言できるぐらい人生で一番頑張った。後悔はしたくなかったから、全部やってあげようと思った。だけど、それだけやっても、もっと頑張れた、もっと色々してあげられた、最後の時に看取ってあげられなかった悔いや公開や申し訳なさや辛さがずーっと頭の中をグルグルして涙が止まらなくなる日がある。それぐらい大事な存在でそれぐらい大好きで、愛してたからこそこんなに辛いんだろうけど、こんな辛い思いはもう二度としたくないなと思う。多分ここまで辛い悲しい思いをすることはもう無いと思うけど。単純にそうだけど、結婚してたり子供いたら、こんな苦しみをまた何度も味わったり、子供に味合わせるかもしれないと思うと、つくづく一人で良かったって思う。寂しくないと言えば嘘になるけど、自分のその感情を紛らわせるためだけにこんな気持ちを味わったり、味合わせるぐらいなら一人で生きてる方がマシだと思う。